駝鳥
ぼろぼろな駝鳥(高村光太郎)
何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢゃないか。
(中略)
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかりみてゐるぢゃないか。
(中略)
これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。
この詩が教科書に載っていたのを覚えている。
私は今、呑みすぎでぼろぼろな男前。
もう止せ、こんな事は。というけれど。。。
駝鳥も、堅パンが好きかもしれないじゃないか。
四坪半のスペースしかないおかげで、わざわざ走らなくてもいいと、ほっとしてるかもしれないじゃないか。
人間よ、
他人の幸せなんて、決してはかれないもんだよ。
とかいいながら、実は高村光太郎の詩は大好き。
あの米久の牛鍋の話。。。
佐藤春夫の「秋刀魚の歌」とともに、若き日の脳髄に染みわたりにけり。
長文につき、結びのみ記す。
◆
八月の夜は今米久(よねひさ)にもうもうと煮え立つ。
わたしと友とは有頂天になつて、
いかにも身になる米久の山盛牛肉をほめたたえ、
この剛健な人間の食慾と野獣性とにやみがたい自然の声をきき、
むしろこの世の機動力に斯かる盲目の一要素を与へたものの深い心を感じ、
又随所に目にふれる純美な人情の一小景に涙ぐみ、
老いたる女中頭の世相に澄み切つた言葉ずくなの挨拶にまで
抱かれるやうな又抱くやうな愛をおくり
この群衆の一員として心からの熱情をかけかまひの無い彼等の頭上に浴びせかけ、
不思議な溌剌の力を心に育みながら静かに座を起つた。
八月の夜は今米久(よねひさ)にもうもうと煮え立つ。